クロウがアジトに足を踏み入れると、そこはむせ返るような紫煙でみたされていた。
「……何吸ってんだよ、京介」
片手で周りの煙を払うような動作をし、クロウは煙の中心にいた男に声をかける。声に反応するように振り返った男の口元には、やはり白い紙巻が銜えられていた。
「見てわかんねぇのかよ、ヤニだよ。タバコ」
わざわざそいいながら、銜えていたそれを高々とみせる鬼柳に、クロウはそれくらい知ってらと反論する。
「じゃなくって。お前、タバコ吸う奴だっけ?」
鬼柳の座るソファーの隣に座れば、一層濃くなるタバコのにおいにクロウはむせそうになる。目の前のテーブルには灰皿代わりの空き缶に、今まで吸っていたであろう吸殻が小山に盛り上げられていた。
「いつもはあんま吸わねぇけど、前に箱ごと奪った奴があったから暇つぶしにな」
「暇つぶしって量かよ、これが……」
「クロウも吸うか? まだあるからよ」
半分近く減ったタバコの箱から器用に一本だけを出し、鬼柳はクロウに勧める。だが、クロウはそれに手を伸ばさず首を横に振った。
「やめとく。タバコの匂い、ガキども嫌がるだろーし」
「……あぁ、母親がタバコ吸うと母体に影響が出るんだっけ?」
「なぐるぞ」
「ハハ、冗談だって」
そう口でいいながら、爆笑するのをやめない鬼柳をクロウは軽く小突く。いてぇと鬼柳の口から声が漏れた。
「ほどほどにしとけよ。部屋に匂い移るとジャックあたりうるせぇぞ」
「んー」
クロウの忠告に生返事をしつつ、鬼柳はまた箱から一本取り出しその先端に火をつけて銜えた。手馴れたその一連の動作をクロウが黙って見ていると、視線に気づいた鬼柳がにやりと笑う。
「なんだよ、見呆けちゃって。――俺に惚れ直した?」
「馬鹿なこといってんじゃねぇよ! 俺はただ」
「ただ?」
「タバコってそんなうまいのかな、って」
「なんだよ、俺のことじゃねぇのか」
クロウの興味が自分ではなく、一本のタバコに注がれていることを鬼柳は残念そうに呟く。だが、しばらく間をおいたあと鬼柳はタバコの煙とともに言葉を発した。
「うまい、まずい、は別として暇つぶしにはいいんじゃね?」
「答えになってなくね?」
「ま、この味が分かるにはクロウはまだちょっと早いかもなー」
「ガキ扱いすんじゃねぇって!」
相変わらず冗談のたびに真っ赤になって食って掛かるクロウが面白くて、鬼柳はもっとからかってやりたいという衝動に駆られた。そして、さりげなくクロウとの距離を縮めると意味深に笑ってみせる。
「そんなにいうなら、試してみるか?」
顎を持ち上げられ、強制的に上を向かされたクロウの唇に重ねられた唇。驚愕に見開かれたクロウの瞳が、次の瞬間には苦悶の表情に変わる。そして、鬼柳を全力で引き離したと同時に、クロウは咳き込んだ。
「なに、しやが、る……!」
「味教えるには、直接味わった方が早いと思って」
にやにやと笑いながらそう言い放つ鬼柳を、クロウは生理的な涙で滲んだ目で睨む。鬼柳に送り込まれた煙はしつこくクロウの喉元に絡みつき、咳は止まることを知らない。
「もういい! お前なんか肺ガンなり、なんなりで死んじまえ!!」
「あれー、しらねぇのかクロウ。タバコってさ、実際に吸うより他人が吐き出したの吸う方が害なんだぜ?」
「……は?」
「だから、俺がガンになったらお前もガンになるってこと」
「ふ、ふざけんなあああああああ!!」
初耳だといわんばかりに、呆けた顔をするクロウがおかしくて鬼柳のの口からまた笑い声が漏れる。そして、鬼柳は吸っていたタバコを空き缶に押し付けるとクロウの方を向いて微笑んだ。
「肺ガンで死ぬときは一緒に死のうぜ、クロウ?」
鬼柳のその言葉にクロウはしばし沈黙したかと思えば、お前と心中なんかごめんだ。と額のバンダナをずらした。