人間、どうしようもなく暇なときがある。そして、そういうときに限って何もすることがなく、テレビも面白いものがやっていないと相場は決まっている。俺はテレビのチャンネル番号を1から順に押していく作業を何回か繰り返すが、それでも手をとめさせるような番組は見当たらない。いい加減テレビの雑音にも飽きてきた俺は、仕方がないデッキでもいじるかと電源ボタンに指を乗せた、そのときだった。
「お、何だこれやってたのかよ」
そんな声を伴っていきなり隣から現れたオレンジ色に、俺は驚いてチャンネルを取り落としそうになる。見れば、ずいぶんとラフな格好をしたクロウがソファーの背もたれに両手を付いてやけにきらきらとした視線を目の前のテレビに向けている。その視線につられて、俺もそちらに目線だけを動かすと、消そうとしていた画面にはどこかで聞いたことがある映画のタイトルが表示されている。丁度、始まるところらしい。
「俺、これずっと見たかったんだよなー」
クロウが何の断りもなく俺の隣に腰掛ければ、わずかな石鹸のにおいが鼻腔をかすめる。風呂上りなのだろう、寝巻き代わりのTシャツと短パンから露出した手足はまだほんのりと火照っている。正直、その姿にどうしようもなくムラっときてしまったのだが、食い入るように画面を見続けているクロウはどう考えても俺の暇つぶしには付き合ってくれそうもない。テレビの電源を消すタイミングすら完全に逃してしまった俺は、人知れずため息を付くと大して興味のない映画の内容に意識を向けた。
内容はというと、これといって面白みのない家族ドラマモノ。仕事一筋で家族を省みなかった男が、妻の逝去をきっかけに自分の子供たちと向き合い始めるといういかにもありがちなものだった。元々、そういったお涙頂戴系のドラマは好みでないこともあって、非常につまらないことこの上ない。もし、これを映画館でみていたのなら、ほぼまちがいなく熟睡し、2千円近くの金を無駄にしていただろう。そう考えれば、テレビ放映で済ますことができたのは得だったのかもしれない。もはや、そんな考えにいたらなければやっていられないくらい退屈だった。
そうこうしているうちに、映画はクライマックスを迎えたらしく主人公が自分の子供たちを抱きしめてなにやら感動的なことを言っている。適当にそれを聞き流していると、俺の隣で小さく鼻をすする音が聞こえた。
「……クロウ?」
隣に座っていたクロウに目を向けた俺は一瞬言葉を失う。なぜなら、クロウは画面をぼんやり眺めたまま、その両目からぼろぼろと大粒の涙を流していたのだから。それはどう見ても、俺が散々酷評したこの映画で感動して泣いていることは明白で……どんだけ涙もろいんだよお前。それとも、クロウの目には俺が見たのと別の映画が見えてるのか? そんなくだらないことを延々考えてるうちに、俺の視線に気づいてこちらを向いたクロウと目が合う。クロウは泣きはらした目元と同じくらい顔を真っ赤にすると、なに思ったかしらないが俺の胸にタックルするように抱きついてきた。石鹸の清潔な匂いが、俺のすぐそばで香る。
「え、ちょ……クロ……」
「……んな」
「は?」
あまりのことに声が裏返りつつも、俺がどうしたんだと理由を問えば、消え入りそうな小さな声。
「泣き顔……見るんじゃ、ねぇ……」
そうつぶやいたあと、クロウは俺の胸に顔をぐいぐい押し付けると背中に回した腕を強めてくる。なに、この可愛い生き物。前から、涙もろいくせに泣き顔は見せたがらない奴だったけど、これは……いろいろと反則だろ。
今すぐにでも目からこぼれた涙を舐め取って、唇を重ね合わせたい衝動に駆られたが、クロウが顔を上げないことには仕方がない。俺はまだ少し湿っているオレンジの髪に指を入れると、それを優しく掻き乱した。
「……クロウ、映画終っちまうぞ?」
「ん……」
映画はすでにエンドロールが流れているにも関わらず、クロウは一向に顔を上げる気配を見せない。それどころかまるで甘えるように擦り寄ってくる。そして、そろそろ黒い画面に流れる白い文字が途切れ始めたころになって、クロウの吐く声が俺の胸元に触れた。
「俺……」
「ん?」
「こういうの……弱いんだよ」
「知ってる」
家族をゼロリバースでなくし、それでも触れたことすらない愛を求めて荒廃したサテライトを彷徨っていた幼いクロウ。その後、遊星やジャックといった兄弟同然の幼馴染と出会い、愛を知ってもクロウの心はまだ家族の愛に飢えたまま。だから、こんな陳腐なドラマであっても家族の絆に焦がれてしまう。本当にクロウは可愛いなぁ。本当の家族なんて、こんな綺麗なもんじゃないのに。
俺はもう片方の手でクロウの背中を軽く撫でるように叩く。
「クロウ顔上げろ」
「………いやだ」
「顔上げねぇと、お前のこと愛してやれねぇよ」
そういいながら、俺はクロウの髪に軽くキスを落とせば腕の中のクロウがわずかに身じろぐ。それが楽しくて、俺は何度もそれを繰り返した。
――俺は、こいつに家族の愛なんて綺麗なもんは与えてやれない。与えようとも思わない。俺が与えられるのは、欲望と直結したどろどろの愛情だけ。でも、それならいくらでも注いでやれるから。だから、他のもんに愛を求めないでくれよ。
クロウはしばらくどうするべきか悩んでいたようだったが、もう一度俺の胸に思いっきり顔をこすり付けると、その真っ赤な顔をこちらに向けた。鈍色の瞳が、どうにでもしやがれとばかりに俺を見上げるのが可愛くて、俺はまずその目元に口付けを落とした。