ちゅうごっこ

 せんせい、さようなら

 そんな言葉で帰りの会は締めくくられ、今までおとなしくしていた子供たちは一斉に口を開き、クラスの中の緊張はぷっつりと途切れる。友達とおしゃべりしながら、帰る準備をしている同じ組の子を気にすることもなく、鬼柳はすぐさま教室を抜け出した。そして、軽い足取りで向かうのは隣のペンギン組のクラス。同じように子供たちの声で騒がしくなっていることを確認し、鬼柳はそのドアをあけた。

「クロウ! かえりの会、おわったか!?」

 まだ教室にたむろしている子供たちの中ですぐさま目当てのオレンジを見つけて鬼柳はそう呼びかける。別の子供と喋っていたらしいその子は鬼柳の声に振り返り、ぱっと笑顔になった。

「きょーすけ」
「おわったなら、あそびにいこうぜ!」

 待ちきれないといった様子で鬼柳は駆け寄り、クロウの手をぐいっと引っ張る。それに、バランスを崩したクロウであったがすぐに持ち直して振り向くと、喋っていた子へ向けて小さく手を振る。

「じゃあね、ゆうせー。ばいばーい」

 遊星が黙って小さく手を振るのを見届けたクロウは、またにこりと笑うと鬼柳に手を引かれるまま教室を出て行った。


 サテライト幼稚園の子供たちは、普通ならば16時に親が迎えに来る決まりになっている。だが、仕事の関係でその時間までに迎えにこれない親のために、最大で18時まで子供を預かるという制度も採用している。そのため、帰りの会のあとはそのまま帰る子供と幼稚園で迎えを待つ子供で別れてしまう。鬼柳とクロウは後者であった。幼稚園に残る子供は一緒の教室に集められるため、組が違う二人であっても仲良くなるにはそう時間がかからなかった。
 特に鬼柳のほうは、同い年であるにもかかわらず体が小さいクロウを人一倍気にかけているのか、先ほどのようにわざわざクロウを迎えに行ったり、なにかと世話を焼きたがる。だが、クロウもそんな鬼柳にべったりなのだから、ある意味うまくいっているのかもしれない。

 鬼柳に引っ張られるまま、ついてきたクロウはふといつもの教室を通り過ぎてしまったことに気がついて首をかしげる。

「きょーすけ。今日は外であそぶの?」
「ちがうぜ、きょうはもっとおもしろいことするんだ!」

 おもしろいこと? とクロウは反芻するように聞き返すが、鬼柳は着くまで内緒と返すだけで答えを教えてはくれない。何だろう、何だろうとクロウが一生懸命考えていると鬼柳の足が急に止まる。

「ここ、入るからな」

 鬼柳が指差したのは目の前のお遊戯室のドア。昼ならば、ここも遊ぶ子供たちでいっぱいになるのだが、ほとんどの子供が帰ってしまった今は誰もいない部屋だった。
 鬼柳がドアを開け、それに促されるままクロウはおそるおそるその部屋へ顔を突っ込む。暖房が切られて久しい室内は冷たい空気で満ちており、カーテンで西日が遮られているせいで薄暗い。昼とは違う顔を覗かせるお遊戯室はクロウには少し不気味に思えた。

「ここで、遊ぶのか……?」
「ここじゃなきゃ、だめなの!」

 まだしり込みしているクロウの手を引っ張り鬼柳は部屋の中へずんずん入っていくと、ドアを閉める。退路を立たれてしまったクロウは思わず鬼柳の手を強く握った。
 そして、鬼柳に引っ張られて部屋の隅に連れてこられたクロウはそこで座るように指示される。クロウが言われるままに座れば、鬼柳もクロウと向き合うように座る。そして、にっと笑った。

「クロウ、ちゅーって知ってるか?」
「ちゅう?」

 鬼柳の突然の問いかけに、クロウは首をかしげる。

「うん。クロウも見たことああるだろ、口と口をぎゅーって押し付けるやつ。あれって、やるとすげぇきもちいいってテレビでいってた」
「……そう、なの?」
「だからさ、ためしてみようぜ!」
「え、っと……」

 クロウの肩に両手を置き、そう力説する鬼柳にクロウはすぐに返事ができずに俯いてしまう。確かに、「ちゅう」自体ならクロウも知っている。だけど、それはいつも大人の男の人と女の人がやることだった。クロウも鬼柳もまだ子供で、しかも男の子同士だ。それなのに、そんなことをしてしまうのは何かいけないことをしているような気持ちになって、クロウは戸惑う。だが、ここで断って鬼柳に嫌われたらどうしようという気持ちも強くクロウの心を揺さぶる。
 そして、悩みに悩んだ末、クロウは小さく口を開いた。

「きょーすけが、したいなら……いい」
「ほんとう!? やった!!」

 鬼柳は肩に置いた手でクロウをこちら側に引き寄せるとうれしさを隠し切れないといった様子で声をあげた。まだ、ほんの少しだけクロウには迷う心があったが鬼柳がこんない喜んでるのならと、気持ちを切り替えた。

「じゃあ、するからな」
「うん……」

 こういうときは目を瞑るものだと鬼柳に教えられて、クロウはぎゅっと瞼を閉じるとそれを待つ。待つ怖さをそこまで感じることもなく、唇になにか触れる。最初のキスは驚くほどやさしかった。
 数秒もしないうちに離れた唇とともに、クロウが目を開ければそこには何かを考えるように首をかしげる鬼柳の顔。

「うーん、クロウの口はやわらかいけど、よくわかんねぇな……」
「おれも、気持ちいいのよくわかんない」
「もう一回、してみてもいい?」

 クロウが頷く間もなく、鬼柳は再び顔を近づけて唇を寄せた。それにクロウは反射的に目を瞑る。さっきよりも、強く長く押し付けられた鬼柳の唇にクロウはなぜか顔がどんどん熱くなり、それをごまかすように鬼柳のスモッグの裾を握った。

「……きもちいいかどうかはわかんねぇけど……楽しいな、これ」
「うん……」

 唇を離したあと、鬼柳がつぶやいた言葉にクロウも小さく頷く。そして、二人は何度も唇を重ね、夕日が完全に沈むまでその新しい遊びに没頭した。





「クロウくーん。お迎えですよー!」

 先生の明るい声がお遊戯室まで届いたのは、いったい何回目のキスの最中だっただろうか。それを聞き、鬼柳が名残惜しそうにクロウの唇を離す。

「あーあ、もうちょっと遊びたかったのになぁ」

 鬼柳は残念そうにそうぼやくと、キスの間ずっとぼんやりしていたクロウを引っ張って立たせる。そして、クロウの頭をよしよしして、また笑う。

「またあした、つづきやろうな。クロウ。おれ、もっとおもしろいこと、またしらべてくるから!」
「うん、きょーすけ。またあした」



 後に「ちゅうごっこ」と名づけられたその遊びは、二人だけの秘密の遊びとしてこれからも続けられていくことになるが、それが本当はどういうことなのかを知るのはまだ先のことであった。