Goodbye Blak Bird
「なぁ、ピアスン。ブラックバードって飛べんのか?」
施設での仕事が終わり、ピアスンがブラックバードの整備をするのを黙ってみていたクロウがふと口を開く。クロウのその質問の意図を理解できず、ピアスンは機体から顔を上げて、クロウに問い返す。
「飛ぶ、とは?」
「だからよ、鳥みたいに羽広げてさぁ、ビューンって滑空したらかっけぇじゃん」
自分の手を力いっぱい広げて、そう力説するクロウ。そのほほえましい姿は年相応というよりはもう少し下にも見えて、ピアスンは少しだけ笑みをこぼした。
「残念だが、そういった機能はつけてはいないな」
「何だよ、ブラックバードつーから空飛べるのかと思ったぜ……」
「ははっ、クロウは本当にブラックバードが好きだな」
「あったりまえだろ!」
落胆するクロウに、ピアスンがそう話題を振ってみればさきほどの沈んだ顔はどこへいったのやら輝いた瞳で食いついてくる。この年頃の少年ならばDホイールに憧れるのも無理はないが、Dホイールのことならば幾分か年の近いボルガーのほうに食いついてもおかしくはない。だが、クロウは最初からピアスンのブラックバードにだけひどく執着していた。
「だってよ、かっこいいじゃんかブラックバード! 伝説のDホイーラーのDホイールみたいでよ!」
なるほど、空を飛ぶことに拘っていたのはそのせいかと、ピアスンは納得する。
未完成のダイダロスブリッジからシティへ飛び立った、サテライト伝説の男。そういえば、クロウが施設の子供たちにせがまれてよくその話をしていたことをピアスンはふと思い出す。彼らに昔話を聞かせているクロウの顔は、今のようにキラキラと輝いていたことも。
「ガキのころからの……俺の、憧れなんだ。ああいうでっけぇ男になりてぇって、ずっと夢見てきた」
少しだけ照れくさそうに頬を掻きながら、クロウはそう零す。笑うか?と言いたげにクロウから向けられた視線に、ピアスンは首を横に振って答えた。
「夢を持つことはこのサテライトにおいて一番素晴らしいことだ。誰であろうとも、その夢を笑う権利などありはしないさ」
整備用の手袋を片方だけ脱ぎ捨てたピアスンは、その手をクロウのヘバンドで逆立てた髪の毛に突っ込むとそのまま掻き回すように頭を撫でる。相変わらず、あまり力の加減ができていないそれにクロウは頭を揺さぶられながらも幸せそうに笑う。自分からは決して言うことはないが、クロウは頭を撫でられるのが好きだ。それが、信頼の置ける人物であるのならなおの事。
そして、ピアスンは自身のブラックバードをもう一度眺めると、ふむと手袋をしたままの片手で顎を支えた。
「クロウがそんなに言うのなら、飛べるように羽をつけてみてもいいかもしれない」
「本当か!?」
「あぁ。どの道、私が死んだらブラックバードは君に譲ろうと思っていた。クロウがそうしたいのなら、好きなようにするといい。……そうだな、羽をつけるのなら、もう少し軽量をしなければならない。それに、羽の材質も……クロウ?」
驚きの混じった声を発したきり、沈黙してしまったクロウにピアスンは自分の思考から離れ、声をかける。みれば、クロウはあんなにも輝かしかった笑顔をすっかり曇らせて、今にも泣きそうな顔でうつむいていた。
「どうした、クロウ。私は何か、悪いことを言ってしまったのか?」
ピアスンが慌てて、クロウの両肩に手を置いてその顔を覗き込もうとすれば、その前にクロウはピアスンの腰に腕を回して抱きついてくる。そして、自分の顔をピアスンの胸に押し当て、離れまいとさらに腕の力を強める。
「クロ……!」
「死ぬなんて、言うな」
「そんな簡単に、死ぬなんて言うなよ!!」
顔を胸に擦り付けるように、いやいやと首を振りクロウは叫ぶ。そして、ピアスンは自分の失言にようやく気づき、その愚かさに自分で自分を殴りたくなる。ゼロリバースからシティから見放されたこのサテライトは、まさに無法地帯。いつ、誰が死んだっておかしくはないのだ。
親しいものを理不尽に奪われる悲しみ。それは、ここにいるものすべてのものが経験した痛みだ。それは、今ピアスンの胸ですすり泣いているクロウとて例外ではない。ゼロリバースで両親を失い、些細ないざこざで信頼していた仲間たちとも離れなければならなかったというのに。
「すまなかったな、クロウ……私が迂闊だった」
ピアスンはまだ嗚咽を止められずにいるクロウをなだめる様に、その小さな背中を優しく叩く。クロウを泣かせてしまったという罪悪感はたしかにあるが、この少年にそこまで思われているという事実にピアスンは少し嬉しくなる。
「死ぬなよ、ピアスン……。俺、ピアスンが死んだら、今度こそ……どうしていいのかわかんねぇよ」
「はは、そうだな。私もこんな大きな子供を残したままでは、心配でおちおち死ぬこともできない」
ピアスンがそう言えば、子供扱いすんじゃねぇ!の声ともにクロウが顔を上げる。そして、泣きはらして真っ赤な目でにっといつもの笑顔を見せた。
曇天の空から降るのは大粒の雨。
参列者の傘が消えた墓地は、また元の静かで厳かな空気に満たされてはじめている。墓標に打ち付ける雨の音だけが支配する空間で、その少年は傘も差さずにそこに蹲っていた。何時間もそこにいたのだろう、髪は打ち付ける雨でしな垂れ、葬式のために用意した黒い服も雨水を吸いすぎて、さらに重い色へと変化している。それでも、彼はそこから動くことなくただ膝に顔を埋めているだけ。その少年の傍らには、重く冷たい墓標。そこの新たに刻まれた名は。
「何で……しんじまったんだよ、ピアスン……」
彼、クロウは震える声で小さく呟く。だが、その小さな声もわずかな嗚咽も、この大雨の中では全てが立ち消えてしまう。クロウの瞳からこぼれる涙でさえ、雨水に混じって地面に流れるだけだった。
そんなクロウを、男はずっと憂いに満ちた目で見守っている。だが、クロウは男に気づかない。今、一番クロウが求めている人間であるにもかかわらず、クロウにはもう見えないのだ。
『すまなかった、クロウ』
男は雨ですっかり濡れてしまったクロウの髪を撫でようとするが、その手はクロウの頭をすり抜けてしまい、もぞかしい思いに駆られる。死んでしまった身のなんと無力なことか。男はクロウに声をかけてやるどころか、クロウをこの雨から守ってやることもできない。
『結局のところ、私は君に新たな傷を増やしてしまっただけなのかもしれないな』
男は、クロウとの約束を破ってしまった。だが、クロウは男との約束を守り、遺品であるブラックバードとブラックフェザードラゴンを引き継いでくれた。この二つは、いつかその翼を広げ、必ずクロウを守ってくれるだろう。いなくなってしまった男の代わりに。
傍にいながら、クロウにもう何もしてやれない男は、それでもまたクロウが笑えるように、長く降り続くこの雨が早く止んでくれることを願わずにはいられなかった