禁じられた聖杯
お前らのリーダーが、また酒場で暴れてるぞ
見知らぬ男から、そう連絡を受けるのはこれで何度目だろうか。そのたびに、ジャックは眉間にしわを寄せ、軋むような頭の痛さに耐えるしかなかった。鬼柳が酒場で酔っ払うたびに、依頼が毎回舞い込むのは必ずジャックであり、同じチームの遊星、ましてやクロウには報告すら届かない。なぜなら、酒癖の悪さに定評があるチーム・サティスファクションのリーダーを押さえ込み、アジトまで運べるのは体格に恵まれたジャックただ一人だけなのだから。
薄暗い裸電球の光に照らされたアジトの階段を上りきり、ジャックは部屋の明かりをつけると同時に、肩にもたれかかっていた男をソファーへ投げ捨てた。すぐさま蛙の潰れたような声が聞こえたが、男はソファーから起きあがることすらできずジャックに恨みがましい視線をむけるだけである。
「ひっ、でぇなぁ……それがリーダーに対する態度かぁ……? ジャックよぉ」
「黙れ。誰がここまで負ぶってやったと思っている。お前が酒場で酔っ払って暴れるたびに借り出されるこちらの身にもなってみろ」
「ばぁか、まだぜんっぜん酔ってねぇよ……この俺が、あんだけで酔っ払うかってーの! 満足できてねぇ!!」
鬼柳はそう主張するが、呂律も十分に回っておらず視線も定まっていない今の状況でどうしてそんなことがいえるのか、ジャックは不思議でならない。ともかく、酔っ払った鬼柳に長々絡まれれば酒場で流血していた男と同じことになりかねない(そうなる前に鬼柳を押さえつけることがジャックには可能だが)、ジャックは役目は終わったとばかりに踵を返した。
「まてよ」
ジャックが部屋のドアに手を掛けた瞬間、静かだったその空間に鬼柳の声が響く。ジャックが振り向けば、先ほどまソファーに寝そべっていた鬼柳がいつの間にか起き上がっていた。
「まだ飲み足りなくてよぉ、……ちょっと付き合え」
そう言いながら鬼柳が懐から出したのは、まだ未開封の酒瓶。おそらく、さきほどの酒場からくすねてきたものなのだろう。おぼつかない手つきでその封を開けた鬼柳は中身を煽り、残りをジャックへと差し出した。
「鬼柳、俺はまだ未成年だ」
「はぁ? なぁに言ってんだ、ジャック。てめぇ、そんなでけぇ図体しておいて下戸とかいうんじゃねぇだろうなぁ。それとも、なんだ? 俺の酒が飲めねぇのかぁ? 偉くなったもんだなぁ……ジャック・アトラスさんよぉ」
ぐだぐだと悪態をつく鬼柳の目は完全に据わっており、ジャックが意に反し続けるのならば、ここでも暴れかねない。ジャックは観念したように酒瓶をひったくるとそのまま鬼柳の隣に座り込んだ。酒瓶に口をつけ、一気に煽れば安酒特有の強いアルコールがジャックの喉を焼く。そのくせ、味は最悪なのだから救えない。よく鬼柳はこんなものを好き好んで飲むものだとジャックは思いつつ、乱暴に酒瓶を突っ返した。
「まずい酒だ」
「おいおい、まだサテライトに流れてる酒の方では飲める方だぜぇ、これは。まぁ、ジャックもまだこの味はわかんねぇか」
くっくっと低く笑いながら、鬼柳は至極楽しそうに酒を流し込む。あまりにも鬼柳がその酒をうまそうに飲むものだから、実は自分が飲んだものとは違う液体が入っているのではないかとジャックは錯覚すら覚える。
「……一度よぉ、こうやってお前と飲んでみたかったんだよ」
酒から口を離した、鬼柳は独り言のようにぽつりとつぶやいた。その目は先ほどの泥酔しきったものではなく、だがどこか遠くを見てるような、そんな目であった。
「お前が一番、俺と年が近いからよぉ……一緒に飲めたら楽しいだろうなぁって、ずうっと思ってた。今まで、一緒に酒飲む相手なんざ、全然いなかったからよぉ」
鬼柳はけたけたと笑うが、その笑いはどこか自虐を秘めている。ジャック、遊星、クロウの三人は幼馴染として同じところで育ったが、鬼柳は数ヶ月前に三人の前に現れた完全なアウトサイダー。だから、鬼柳が今までどこにいて、何をしてきたのか誰も知らない。鬼柳もそういったことを一言も喋らないので、知ることもできない。だが、それが聞いていて楽しいものでないことはジャックでも予見できた。一人、酒場で孤独に泥酔するほど飲んでは、毎夜のように暴れる鬼柳の心境を考えれば。
「やっぱよお、誰かと飲む酒はうめぇわ。こんなサテライトの不味い酒でもな」
鬼柳は空になった酒瓶を床に投げ捨てる。幸い、瓶は割れなかったがまだ微量に残っていた酒が冷たいコンクリートに模様を描いた。それをしばらく眺めた後、ジャックは馬鹿にするかのごとく鼻で笑った。
「くだらんな」
「あ゛ぁ?」
「こんな惨めな宴で満足するような奴だったのか、貴様は」
何が言いたいとばかりに、鬼柳はジャックをにらみつける。ジャックはそれを不敵な笑みで流しつつ、足元に転がってきた酒瓶を部屋の隅へ蹴りもどした。
「忘れたか、俺たちはチームだ。ここにはまだ二人も足りんというのに、こんな酒がうまいはずもなかろう」
瓶がころころと転がる音の中、鬼柳はあっけに取られたような顔をさらす。だが、次の瞬間、部屋の中は鬼柳の狂ったような笑い声に部屋は支配された。
「あぁ、そうだったなぁ!! チーム・サティスファクションのリーダーの俺が、こんなみみっちいことで満足しちゃいけねぇよな!! ……うっし、サテライト制覇のあかつきには、チーム全員でぱぁっとやるかぁ!!」
その後、遊星をベロベロに酔っ払わせてみてぇ、クロウにはオレンジジュースでも用意してやらねぇと、などまるで歌うように呟いていた鬼柳だったが、唐突にその声が途切れた。ジャックが、そちらに視線を向ければ鬼柳はソファーの肘置きに伏したまま寝息を立てている。
その姿を見たジャックはあからさまにため息をつくと、再び鬼柳を背負いその体を寝所へと運んだ。
結論として、鬼柳が夢見たチームでの祝杯は決して開かれることはなかった。
サテライト制覇後、間もなくしてチームは崩壊し、鬼柳はセキュリティーと問題を起こして収容所へ送られる。ジャックも遊星をはじめとしたさまざまな人間を裏切り、サテライトを離れた。シティでデュエルキングとして君臨するジャックに、もはやサテライトでの出来事などすべて煩わしく、何の意味ももたない。
だが、シティのどんな美酒を飲んだとしてもジャックの舌に残るのはあの時に飲んだサテライトの安酒の味で、それだけがジャックをひどく不愉快にさせるのだった。