My little pretty monster !
インターホンの音に呼ばれた俺がドアを開けると、そこには何故かちっこい天狗がいた。
「……ん?」
「きりゅー、とりととりー」
天狗の正体である、隣の部屋の子供のクロウは両手を一杯に広げる。そして、俺に対して満面の笑みを浮かべたまま謎の呪文を口にした。短い預かり期間後も、毎日のように俺の部屋へ遊びに来てはおやつをせびるクロウであるが、こんな変な格好で現れたのはこれが初めてだ。
「……うん。まぁ、天狗も……鳥っちゃ鳥だよな」
俺は山伏姿のクロウの背後に生えている黒い羽をまじまじと見ながら、そう返す。だが、クロウはきょとんとした表情でこちらを見上げるだけであった。何か、俺は的外れな事を言っただろうか。
「どうしたんだ、その格好。幼稚園で劇でもやるのか?」
そう理由を尋ねてみれば、クロウは首をゆっくりと横に振る。その拍子に、背中の小さな黒い羽根もゆらゆら揺れた。
「ううん、ちがうー。今日はとくべつなひなんだってー」
「特別な日?」
「うん。この格好して、さっきの言葉いえば、きりゅーがおかしくれるってピアスンがいってた」
その言葉に、俺ははっとして玄関にかけてあるカレンダーを確認する。カレンダーの日付は10月の最終日。そして、その下に小さな文字で書かれていた行事名に、俺は一気に脱力した。
「……クロウ、さっきの言葉ってもしかして、トリックアトリートじゃないのか?」
「そうそう! そうともいう!」
そうとしか言わないぞ、という突っ込みを心の憶測にしまいこみ、俺は小さくため息をついた。それだけではなくとも、いろいろ突っ込みどころが満載だというのに。10月31日、つまりハロウィンは西洋のお祭りだ。子供たちがお化けの格好をして近隣の家にお菓子をせびりに行く行事であるが、俺の記憶が正しければそのときの仮装は決まって吸血鬼やら、狼男やら、フランケンシュタインやら本場西洋のお化けだったはずだ。日本の妖怪である天狗をハロウィンの仮装に選ぶことはそうそうありはしない。そして、おそらく、俺の憶測が正しければ……。
「なぁ、クロウ。その服作ってくれたのって、ピアスン?」
「うん!」
やっぱり。確定となった憶測に、俺はひっそりと肩を落とした。
ピアスン、間違ってる。相変わらず、その隠れた裁縫技術には脱帽せざる得ないが、根本的に間違ってる。でも、あの人のことだから絶対に気がついてないんだろうなぁ。ああもう、誰か俺の代わりにピアスンとクロウという天然二人に何か言ってやってくれ。
ぐるぐると不毛な事を考えていた俺の顔を、クロウは下から覗き込む。そして、もう一度あの呪文を唱えた。
「きりゅー、とりとりーと」
「トリックアトリート、な」
「とりっくあとりーと」
俺が訂正してやれば、クロウは舌足らずながらもその言葉を鸚鵡返しする。そして目を輝かせながら、俺から菓子を期待して手を差し出すクロウ。絶対にもらえるはずと信じこんでいるその目に、俺の中の悪戯心がほんの少し揺れる。そうだ、今日はハロウィン。ちょっとの悪戯位なら許される日だ。
「トリック」
「……んん?」
俺が発した聞きなれない言葉に、クロウはまたしても首をかしげる。
「あのな、クロウ。トリックアトリートっていうのは、日本語にすると『お菓子くれないと悪戯するぞ』っていう意味なんだ」
「へー……そうなのか?」
「そう。だからな、俺がまいった!って言うような悪戯してみろ。そしたら、お菓子やってもいいぞ」
「いたずら……」
そう呟くなりクロウはううんと困ったような声を上げて、考え込んでしまう。クロウにとって「トリックアトリート」とは、唱えるだけでお菓子がもらえる魔法の呪文だった。だから、そういう切り返しが来るとは思っていなかったのだろう。お菓子のため、必死に悪戯を考え続けるクロウ眺めながら、俺はほくそ笑む。さて、クロウはどんな悪戯を仕掛けてくるのやら。
そして、俺の足元を柔らかい衝撃が襲う。なんだなんだと俺がそちらを見下ろせば、俺の両足に抱きつくような形でクロウが引っ付いていた。この位置からだと、背中に縫い付けられた黒い羽がよく見える。
「……何やってんだ、クロウ」
「いたずら!
クロウががばっと俺の足から顔をあげて、にっと笑ってみせる
「こうすれば、きりゅうはこっからうごけないだろ!」
ズボンを握り締める腕を強めながら、どうだまいったか!とクロウは俺の答えを催促する。なんでこう、この子供はいつもいつも俺の予想の斜め上の行動しかしないんだろう。俺の両足に回りきる事すらできない小さな腕の拘束を、解くことなど動作もないこと。だが、俺はクロウの言う通り、確かにこの場から一歩も動くことが出来なかった。出来るはずがない。
「――よし、まいった。まいった、クロウ。約束どおり、ちゃんとお菓子作ってやるからな」
「ほんと!?」
「なんっでも好きな物作ってやるからな」
俺が優しくクロウの髪を撫でてやれば、クロウは幸せそうに笑い、一層俺の足に引っ付く。動けるようになったら、冷蔵庫の中にかぼちゃが残っていたか確かめよう。この世界で一番可愛いモンスターにかぼちゃのパイをつくってやりたいから。