Side Crow
俺が覚えてる限りで最初の記憶は、真っ白な部屋の真っ白なベッドの上。
そして、ベッドの横で俺が起きるのを待っていたかのように佇んでいた黒いコートの男。光の加減で薄い水色のように見えるさらさらとした長髪が綺麗だったことはよく覚えている。
「……あんたは、誰だ」
そう俺が尋ねれば、男は一瞬目を見開き、そして悲しそうにその黄色の瞳を細めた。何か悪いことを聞いてしまったのだろうか。俺がどうしていいかわからず戸惑っていると、ようやく男は口を開いてぽつりぽつりと俺に説明を始めた。
自分の名前、俺の名前、俺がどういう状況で何をしなければいけないのか……。それは一度に理解することはできないほどの情報量であったが、たったひとつだけ本能的に理解することができた。
目の前のこの男は俺にとって一番大切な存在、兄弟(フラテッロ)なのだと。
それが、俺という存在の始まり。俺の始発点。
それなのに、俺はどうして、こんな夢を見るんだろう。
薄汚い天井、切れかけの裸電球、冷たいシート、動かない手足。ぐるぐるとした視界の中で光る鋭利な刃物。
いやだ。痛いのも、苦しいのも、気持ち悪いのも、もういやだ。助けて、助けて、助けて、助けて!
声にならない俺の叫びを、影が笑う。そして、俺に絶望を与えるように銀色の刃が振り下ろされる。
その瞬間、俺の口が最後の言葉を紡ぐ。
「 」
「クロウ、クロウ」
聞きなれたルームメイトの声に、俺ははっと目を覚ます。眼に映る見慣れた天井と親友である遊星の心配そうな顔が滲むのは、きっと寝起きだけのせいじゃない。目元を指でこすれば予想通り、生ぬるい涙が俺の頬をぬらした。
「また、あの夢か?」
遊星の問いかけに、俺は小さくうなづく。
公社の仕事を始めてから数ヶ月。俺は頻繁に悪夢を見るようになった。その夢を見ている間、俺は遊星を起こしてしまうほどにうなされ、知らないうちに枕を涙で濡らす。そして、起きた後は酷い吐き気に襲われるのだ。それは、俺が今の体になるときに消えてしまった過去に起因するもので、誰もが経験することだと医者は言っていた。だが、オレは他の義体と比べて、それが格段に酷かった。
「わりぃな、遊星。また起こしちまって」
「気にするな。だが、ここ最近毎日うなされてるな」
「ん……そうか?」
俺はそういって言葉を濁すが、それは紛れもない事実。本当のことを言えば、ここ最近まともに寝れた夜など一度もないくらいだ。
「鬼柳には、もう相談したのか?」
遊星の口から出た名前に、俺は身を強張らせた。
俺と遊星はセキュリティ社会福祉公社という組織に身をおいている。表向きは障害児のための義肢開発開発組織であるが、その実態は俺たちみたいな障害を負った身寄りのないガキに義体という機械の体を与えて政府の汚い仕事を請け負わせるとんでもないところだ。人身警護、スパイ、暗殺、血なまぐさい仕事は全部俺たちの仕事だ。そして、そんな俺たちには指導と監視を兼ね、それぞれ担当官として公社の大人が一人付く。俺にとってのそれが、先ほど名前の出た鬼柳という男だった。
「いんや……、鬼柳には相談してない」
「何故? 体に異常があれば真っ先に担当官にいうのが公社の決まりだろう」
「だって、あいつ……過保護すぎんだもん」
ベッドの上に胡坐をかき、俺はわざとらしくため息をつく。
鬼柳はいい担当官だ、それは認める。他の担当官から酷い仕打ちを受けている同僚の話を聞くたびにそれは思うのだが、ただひとつ不満があるとすれば鬼柳は極端すぎるのだ。つまり、オレに対して異常なほどに過保護。俺たちは体のほとんどが機械で、唯一、換えのきかないある頭さえぶち抜かれなければ足をぶった切られようが内臓をえぐられようがある程度は修復がきく。(ただし、痛いことは痛い)だが鬼柳は、オレが傷つくことをよく思っていないらしい。公社での任務よりもオレの体のこと最優先に考え、場合によっては自分の身を張ろうとする鬼柳は、とても滑稽だ。
それが、オレのことだけを思っているからの行動ではないことを、知っているからこそ、余計にそう思う。
「でも……そうだな、駄目もとで頼んでみるのもいいかもな」
何を、と首をかしげた遊星に、オレは笑いながら一言だけ答える。
「条件付け」
「駄目だ」
「なんでだよ!!」
振り向きざまにオレを射すくめた黄色の瞳に、若干ひるみつつもオレは声を張り上げる。俺たち以外、誰もいない廊下に声だけが空しく響いた。
「前にも言っただろう。お前は他の義体よりも格段に軽度の「条件付け」で成功した稀な例だ。技術部にはお前に対して、必要以上の「条件付け」をせず経過を観察したいと申請している」
「だから! 今がその必要なときなんじゃねぇか!」
「どこか、異常があるのか?」
こちらに向き直り、そう尋ねる鬼柳にオレは二の言葉が浮かばなくなり、仕方なく押し黙る。悪夢ばかり見て眠れないから、「条件付け」を強くして欲しいだなんて言えるはずもない。
「条件付け」というのは俺たち義体に与えられる洗脳のようなものだ。化け物じみた力を与えられた俺たちを抑えつけ、戦場に立たせるための枷といってもいい。「担当官及び公社に忠誠を誓い、逆らわないこと」「殺人に抵抗を持たないこと」「目的のためには自己犠牲も厭わないこと」大きく分けてこの三つが頭の中に叩き込まれる。また、「条件付け」には副作用がいくつもあるが、そのひとつが記憶障害である。「条件付け」を施され義体化されれば、今までの記憶は全部消える。場合によっては記憶は消えないケースもあるらしいが、少なくとも俺はまったく覚えていない。
「身体に異常があるのなら、まず技術部に話を通してからだ。俺の独断では決めれない。分かったな、クロウ」
「あぁ……分かったよ、鬼柳」
言い聞かせるように発せられたその言葉に、俺は頷くことしかできなかった。担当官の言葉は俺たちにとって神の言葉。それに逆らおうとすれば、すぐさま身体が拒絶反応を起こしてしまう。
「……クロウ」
しぶしぶ俺が踵を返そうとしたとき、鬼柳が俺を呼び止める。まだ何かお説教があるというのか。
「遊星から聞いた、寝れていないんだってな」
「………」
何で話しちまうんだよ、遊星。俺は内心、親友に対してちいさく悪態を吐いたあと、鬼柳の方へ向き直る。
「あぁ、そうだよ。悪夢ばっかりみてしんどいから、条件付けすれば直るかなって思ったんだよ」
「どんな、悪夢なんだ」
真剣な眼差しでそう尋ねる鬼柳に、俺は嘘を付くことができず口を開く。隠し事一つできないとは、本当に義体というのは厄介な身体だ。
「――俺さ、夢の中で何度も殺されるんだよ。全然知らないところでよ、刃物でずたずたにされるわけ。痛いのも平気だし、死ぬのは怖くねぇようになってるはずなのに、夢の中ではメチャクチャ痛くて、しんどくて、怖くて……」
鬼柳は何も言わず、俺の言葉に耳を傾けている。俺はなんだか少し恥ずかしくなりつつも、言葉を続けた。
「でさ、夢の中の俺が必死に叫ぶんだよ。「鬼柳助けて」って。――おかしいよな、もし夢が過去の出来事だったとしても、昔の俺は鬼柳のこと知ってるはずねぇのに」
俺が乾いた笑いとともに言葉を吐き出した瞬間、強い力で腕が引っ張られる。気づけば、鬼柳は俺の身体を包み込むようにきつく抱きしめていた。
戸惑う俺に、鬼柳の上擦った声が絶え間なく降り注ぐ。
「クロウごめんな」
「助けてやれなくて、ごめんな」
言葉とともに零れ落ちた雫が、俺の頬に当たる。あぁ、また鬼柳を泣かせてしまった。鬼柳のその温かみを感じながら、俺は低く笑ってみせる。
「何で、夢の中にまで鬼柳に守られなきゃいけねーんだよ」
俺は鬼柳を守るように作られているのに。そう俺が答えれば、鬼柳は一層強く俺の身体を抱きしめるだけだった