Side kiryu
義体にするさい、技術部には外見は変えないように頼んだ。どうせクロウを知る者はもう俺以外に存在しないから、名前もそのままにした。元々、クロウという名前がコードネームのような響きを持っているので特に問題はない。
だから、ここにいるのは記憶をなくし機械の身体にされただけのクロウのはずだ。
それでも、この喪失感だけは決して消えはしないだろう。
「クロウ、分かってると思うけど念のためおさらいな」
俺の言葉にクロウはこくりと頷きつつも、標準から目を離そうとしない。クロウが廃ビルの屋上のフェンスに身を乗り出して構えているものは、その身体には不釣合いな代物だった。
PSG-1。ドイツのヘッケラー&コッポ社が対テロリスト用対策として開発したセミオートの狙撃銃。セミオートとしては非常に高いの命中精度を誇るそは、クロウの相棒だ。狙撃主としての訓練中、いくつかの銃を試させたが、クロウはこれが一番気に入ったという。全長120.8cm、重量8100gもある銃をまるで玩具のように軽々と扱うクロウに対して、俺は義体の恐ろしさを実感する。
「作戦決行は1600、向かいのビルの前にターゲットを乗せた車が止まる。車種はメルセデス・ベンツ。カラーは黒。車は防弾車に改造されてるから、撃っても無駄だ。ターゲットが車から出た一瞬を狙え。ターゲットの顔は覚えてるな?」
「あぁ。でも、関係ねぇよ。車から出てきた奴らの頭、全部ぶっ飛ばせばいいんだろ?」
あっけらかんと言い放つクロウに、俺はわざとらしく頭を抱える。クロウはかなり無鉄砲だ。もっとも、それが許されるほどの実力であることは、担当官である俺が一番理解しているのだが。
「……あくまで目標はターゲットだ。それが最優先ってことを忘れるな」
「分かってるって。――なぁ、ブラスト」
クロウは自分が構えているPSG-1の銃身を優しく撫ぜ、同意を求めるようにその名を呼んだ。クロウは自分の銃には全て名前をつける。例えば、この漆黒で細長のPSG-1にはブラストと名付け、そのほか自分が愛用する拳銃やサブマシンガンなどにもゲイルやシロッコといった名前を付けていた。名前の由来を前にクロウに尋ねたことがあるが、頭に浮かんだ言葉をそのままつけているだけで、ようは適当らしい。だが、ブラスト以外の銃が訓練以外で使われることはほとんどない。俺がいる以上、クロウにそんな武器使わせるわけがない。
俺は腕時計で時刻を確かめる。現在時刻1550、作戦決行まであと10分を切っていた。
「時間だ。集中しろ、クロウ」
俺が声を掛ければ、クロウはもう一度銃身を構えなおした。
俺が公社に入ったのは5年前のこと。元々、俺は軍部の諜報機関に勤めていたが、ある事件を元に退職をしたその矢先のことだった。
「国がある組織を新設し、その教官を募集している。お前にも悪くはない条件だ。受ける気はないか」
軍部にいたときの知り合いから、そんな話を持ち出された。男の名はジャック・アトラス。いつの間にか軍を抜けたと聞いていたが、そんな怪しげな組織に入っていたのか。そのジャックのの傍らには、無表情な少年が控えていた。その子供はうつろな目をしてはいるが、絶えずこちらを警戒し何かあれば殺すことも辞さない、そんな空気を纏っていた。まるで、いくつもの戦場を渡ってきた兵士のそれだ。
「――その組織って言うのは、何をするところなんだ」
「簡単にいえば、公的福祉だ。さまざまな不幸に見舞われた障害児に対しての義肢開発と社会復帰活動を主としている」
「福祉ねぇ……じゃあ、何で俺なんかを必要とすんだよ」
公的福祉なら、それ専門のやつをスカウトすればいい。何故、軍を抜けたばかりの俺を誘おうとするのか。わずかに鼻腔を掠めた硝煙の匂いに、俺はうすうすその組織の正体を感ずいていた。
どうせ行く当てもなかったところだ。俺はそのジャックの誘いに乗り、セキリュリティ社会福祉公社という組織に加入した俺は、さまざまな健康診断・適正検査を受けること一週間、ようやく仕事内容を説明して貰える段階になった。
仕事の説明をする、そう言って俺はジャックの車に乗せられた。いつもジャックの傍から離れようとしないあの子供を、今回ジャックは連れてこなかった。
「――察しているとは思うが、俺たちの仕事は慈善事業なんかじゃない。人殺しの人形を作ることだ」
「そんなところだろうと、思ったぜ」
ジャックにそう告げられても、俺はさほどショックは受けなかった。むしろ、予想通りといったところだろうか。ジャックの傍にいたあの子供が例のお人形なんだろう。あんな子供の癖に、血と硝煙の匂いを纏わせやがって。
そして、子供というキーワードで、いやな思い出が俺の胸の中でくすぶる。あのときにした指きりの、小さな指先の感触まで思い出し、俺はしきりに頭を振った。もう、記憶の中だけの存在だというのに。
そうしている間にも、ジャックは淡々と説明し続ける。
「公社は国中から集めた障害者に改造と洗脳を施して、政府の汚い仕事を請け負わせる。改造された子供のことを、俺たちは義体と呼ぶ。お前の仕事は、その義体の中から一体パートナーを選び、その義体への指導・監督を勤めてもらう。さっきも言ったように、義体は普通の子供ではない。戦闘用に改造され、身体の組織も脳と一部の臓器を除いてすべて作り物に切り替えさせられる。そして、何より、公社と担当官には絶対服従。――気をつけろ。義体はお前が死ねといえば、何のためらいもなく自殺するからな」
「……胸糞わりぃ兵器だな。……で、俺がお守りをするガキはいったいどこにいる」
「今からいくところにいる」
ジャックの車が止まったのは、国立病院だった。あぁ、そうか。元は障害児っていってたな。俺はジャックに促されるまま、その後ろをついていった。
そして、俺はある病室に案内される。あきらかに他の病室とは隔絶されたその部屋へ入った瞬間、俺は深い絶望に襲われた。
その病室は他と比べてあきらかに広いというのに、ベッドはひとつしか置かれていなかった。だが、その一つのベッドを取り囲むようにさまざまな生命意地装置が設置されている。殺風景な病室の中心にいたのは、まだ年端のいかない少年。そのオレンジ色の髪に俺の視線は奪われる。俺は、この少年を知っている。あぁ、そうだ、忘れるわけがない、その鮮やかな髪も、小さな体躯も、今は眼帯の後ろに隠されている青鈍色の瞳も。
「……クロウ・ホーガン」
まるで呼吸のできない魚のように口をパクパクさせる俺に代わって、ジャックがその子供の名を呼ぶ。
「左足膝下切断・両目失明・その他、左手右手合わせて指欠損3本。精神も重度のPTSDによって意識が回復しない。公社の調べでは義体との相性も96%と安定しているこれ以上ない素体。そして」
「お前が諜報機関を抜けるきっかけとなった事件の、唯一の生存者だ」
向かいのビルの前に一台の車が止まる。黒のメルセデス・ベンツ、ターゲットの車で間違いはなさそうだ。隣のクロウを見れば、もう完全に集中しきっており、俺がどんな言葉をかけてもおそらくクロウの耳には届かないだろう。
先に数人の黒服の男が車を出て、最後に出ようとした男の周りを囲む。だが、車外に男の頭が晒された瞬間、クロウが引き金を引いた。
長い銃身から発せられた尖頭弾はまっすぐに男の頭を射抜き、吹っ飛ばす。だが、それだけでクロウの攻撃がやむことはない。クロウはすぐに標準を切り替えると隣にいた黒服の頭も同じように銃弾で貫いた。
PSG-1の総弾数は5発。だが、その5発中、1発の無駄を出すことなくクロウは先ほどの宣言どおり車にいた連中全ての命を奪った。
「鬼柳、終わった」
5人の命を当たり前のように奪った銃を抱え、クロウは次の指示を求めるかのごとく俺の瞳を見つめる。
「……あぁ。よくやったな、クロウ」
俺がクロウの髪に手を置き、無造作に掻き撫でるとさきほどまで人形のように無表情だったクロウの顔は、元の年相応に照れる少年のそれに戻った。
「なぁ、鬼柳」
撤収作業中、PSG-1をケースに片付けながらクロウは唐突に話しかける。
「なんで、俺の仕事は狙撃ばっかりなんだよ」
「お前が公社の狙撃手だからに決まってるだろう」
「いや、分かってるけどよ。俺、狙撃よりもシロッコとかゲイルとか使ってぶっ放す方が性に合ってると思うしそれに……別の任務もやったほうが、その、鬼柳の役に立つだろ?」
確かに、クロウは狙撃の成績は言うまでもないが、他の銃も成績も申し分はない。現に、クロウを狙撃手ではなく、サブマシンガンを主体とした接近型へ変えるつもりはないかと進められたくらいだ。だが、俺はクロウを狙撃手以外にするつもりなどない。
「お前は、他の義体よりも格段に目がいい。それは狙撃手としての最大の長所だ。ほかのことなど考えなくていい。お前はただ狙撃手としての腕を磨けばいい」
「だ、だけど……」
「分かったな、クロウ?」
納得しきらないクロウにもう一度声をかければ、クロウは渋々と一度だけ頷き、作業へ戻った。
本当のことを言えば、さっきの理由は方便だ。狙撃手は基本的に遠くから標的を狙う。つまり、必然的に前線に出て身を晒す接近型と比べ危険ははるかに低い。それにクロウが狙撃に集中している間は、俺がクロウを守ればいい話だ。
いくら、脳以外は再生のきく義体であっても、俺もう二度とクロウが傷つくところは見たくはない。あんな思いをするのはもうこりごりだ。たとえ、このエゴが義体であるクロウの精神を傷つけることになったとしても、俺はクロウを守ると、そう決めたのだ