02

 とりあえず、駅にずっといるわけにもいかず、ともかく遊星の家に行こうという話にまとまった。
「荷物、一つ持ってやるよ」
「いや、大丈夫だ」
 里帰りにしてはやけに多いその荷物をクロウは持とうとしたが、遊星は首を振ってそれを拒否する。そして、代わりに差し出されたのは遊星の手のひら。
「クロウ。その代わりといっては何だか、手を繋いでくれないか」
「へ? あ……お……おう」
 クロウは戸惑いつつも、促されるまま遊星の手を握る。すぐさま握り返された手はクロウの体温よりも冷たかった。

 何かがおかしい。クロウは繋いだ掌の先をちらりと見遣ったあと、心の中で呟く。確かに、クロウの記憶の中の遊星はよく不思議な行動をしていたが、果たしてこんなにもスキンシップが激しいタイプであっただろうか。先ほどの熱烈な抱擁も、今の手繋ぎも、子供の頃ならいざ知らず、今の年でのそれは少しおかしいのではないか。だが、それを面と向かって言うことができずクロウは自分が着ているコートの袖口でこっそり手のつなぎ目を隠した。
「そういや、遊星。東京の学校はどんなんだった?」
 少しでも掌からの意識を逸らせようと、クロウは遊星へ話題を振る。世間話でもすればこの気恥ずかしい空間も紛れるはずだと。
「……確かに、高いレベルの学校で設備もしっかりしている。だが、これならわざわざ東京に行かなくても、実家から通いつつ父さんの手伝いをしていたほうがまだよかったかもしれない」
 遊星の父、不動博士は世界でも屈指の工学教授である。幼い頃から、そんな父に溺愛され、直々に教えを受けていた遊星にとっては高校の授業などお遊びのようなものなのかもしれない。クロウは今更ながら、親友のスペックの高さに唖然とするばかりだった。
「あ、じゃあ向こうでダチとかできたのか?」
「―…あぁ、友達といえば友達、みたいなものはできた」
「そっか。どんな奴?」
「クロウ。俺の話なんかどうでもいいだろう? 俺は、クロウのことが聞きたい」
 クロウと視線を合わすように首をかしげつつ、遊星はクロウの顔を覗き込む。遊星の整った顔を目の当たりにして、クロウは一瞬息を詰まらせた。
「い、いいけどよ。俺の周りの話とか全然おもしろくねーぞ」
「クロウのことなら何でもいい。俺がいない間のこと、全部話して欲しいんだ」
 遊星と繋いだクロウの掌が強く握り締められるのが分かる。特に断る理由もなかったクロウは、遊星の求めるまま渋々自分の近況を語り始めた。
「俺は、遊星みたいに頭よくねぇからなぁ……。でも、大学は行きてぇからさ、今必死にバイトして学費貯めてんだよ」
「保育士は、昔からのクロウの夢だったな」
「何だよ、覚えてんのかよ。そんで、そこのバイト先の先輩がさ、やけに俺に絡んできてよ。しかも、なんでかしらないけどシフト大体同じだから避けようがねーし」
 その言葉を引き金に、遊星の足がぴたりと止まる。どうしたんだ、とクロウが遊星のほうを向けば、その表情は無表情のまま固まっていた。だが、クロウには分かる。これは遊星の機嫌が最高に悪いときの顔だ。自分は何か怒らせるようなことを言っただろうか、クロウは冷や汗を浮かべる。
「な、何怒ってんだよ、遊星」
「怒ってない」
「ぜってー怒ってるだろ! 何だよ……俺、何か悪いこといったのか?」
「………」
「遊星!」
 遊星はそれ以降、口を硬く閉ざすとクロウの手を掴んだままずんずんと前へ進んでしまう。クロウはそれに引きずられながら、いくつか遊星に対する文句をつけるが、遊星は黙ったままである。遊星の手を振り払おうにも、クロウの手を掴むその手は痛いほど強く握られており、ちょっとの力では振りほどけそうもない。
 最悪だ。クロウは心の中で小さく吐き捨てる。遊星が帰ってきてくれたのに、なぜ出だしからこんなよく分からない理由で喧嘩しなければいけないのか。そもそも、何が遊星の逆鱗に触れてしまったのか。自分の近況を聞きたいと言い出したのは遊星のほうではないか。様々な考えが混ざり合い、混乱していたクロウは、いつの間にか遊星の家の前まで来ていたことにさえ気づけなかった。
 遊星に引っ張り込まれる形で、クロウは家の中に足を踏み込む。明かりのついていない、薄暗い屋内には遊星とクロウ以外に人の気配はない。

「……クロウは、無防備すぎる」

 ようやく口を開いた遊星がまるでクロウを咎めるかのように小さく呟く。その意味をクロウが問おうとした瞬間、クロウの視界がぐらりと揺れる。背中に走る鈍痛と床の冷たさ、そして間近まで近づけられた遊星の顔に、クロウは自分が押し倒された事にようやく気がついた。何から何までさっぱり意図が分からない親友の行動に、クロウの我慢も限界に達してしまう。
「何だよさっきから!! いちいち意味のわかんねーことばっかしやがって!! 俺、お前の事全然わかんねーよ!!」
「好きだ」
「…………は?」
「俺は、お前のことが好きなんだクロウ」
 クロウの今までの苛立ちすべてをこめた怒鳴り声は、遊星のたった一言によってあっけなく無力化する。そして、クロウの表情が引きつっている事に気づくことなく、遊星は今までになく饒舌に語り始める。
「小さい頃からずっと、ずっとクロウのことが好きだった。だが、こんな気持ちを抱く自分が異常なのではと今まで打ち明ける事ができなかった。東京の学校に行ったのだって、クロウを諦めるためだった。だが、クロウと離れる事で俺はようやく理解した」
 遊星がこんなにも喋るのは一体何年ぶりだろうか、もはや現実逃避にも似た気持ちでクロウは回想する。できることなら、両耳を塞いでしまたくなるほどの遊星からの愛の告白に、クロウはもう笑う事すらできない。何故なら、クロウの鼻先にまで近づけられた遊星の顔は、真剣そのものだったのだから。

「――俺は、そこでようやく理解することが出来たんだ、クロウ。男と男が愛しあうことは、異常なことではないのだと」

 そして、そのままクロウの記念すべきファーストキスは唯一無二の親友によって奪われた。